第1章 草創期

1923

→

1944

第2節 ビル事業開始

1 ダイビル本館の建設計画

大阪ビルヂングを設立したことで中之島の一角を占める大阪市北区宗是町1番地でのビル事業は大阪ビルヂングによって進められることになった。ただし、設計自体は1922(大正11)年3月から神戸の商船ビルの設計に携わった渡辺建築事務所によってすでに進められていた。渡辺節によるビル建築計画は延床面積1万坪にも達するという壮大なもので、同年9月に大阪府知事に提出され、同年12月に認可されていた。当社が設立されたことにより大阪商船名義で認可を受けていた建築名義人を当社名義に変更する届出書を大阪府に提出し、1924年2月に受理された。続けて建築用地に対する借地契約を大阪商船との間で締結し、これによりビルの建築事業は本格的に動き出した。

建築工事は設計・監理が渡辺、製図主任が村野藤吾、構造設計は耐震構造の権威であった内藤多仲早稲田大学教授という強力な布陣で臨むことになった。なかでも渡辺はダイビル以前に旧京都駅、旧日本興業銀行本店、大阪商船神戸支店ビルなど多くの実績を持ち、これ以降も当社草創期のビルを数多く手がけるなどわが国における建築界の先駆者であった。

1924年2月、当社は特命発注により大林組と主体工事請負契約を締結した。請負形式は実費計算報酬加算方式と呼ばれるもので、骨子として①原則として必要資材は発注者で買い求め、施工者には諸経費の手間賃のみを支払う、②請負者は工期を保証し、工期遅延の場合は一定の補償金を支払う、③契約の当初に工事総額を予定し、これを超過した時、または余剰を生じた時は、その金額の何割かを工事予定額に加減することにより工費を確定する、という内容であった。

1924年4月12日に地鎮祭を執行し、完成に向けて工事が始まった。