第4章 拡充期

1989

→

2003

第1節 新都市空間の創造

2 日比谷ダイビル建て替え計画

1958(昭和33)年12月1日の接収解除により再営業を開始し、有力テナントとともに歩んできた日比谷ダイビルだったが、1982年に策定された中長期経営計画において建て替えが決定された。背景にあったのは、東京都心のオフィス需要がきわめて旺盛であり、その一方で供給が十分に追いついていないという当時の状況であった。ビル建築の基準が日比谷ダイビルの建設当時とは大きく変わり、駐車場の設置義務が新しく加わったものの、37%増の延床面積を持つ建築が可能になったという事情もあった。希少価値の高い都心に1100坪程度のオフィススペースを新しく生み出すことが可能になったのである。さらに当時のオフィス市場は概ね貸手市場であり、既存賃料と新規賃料の乖離が大きく、建て替え後の全面積を新規賃料に転換できれば、大きな収入増を見込むことが期待できた。1号館が1927年、2号館が1931年に完工したもので、いずれも60年近くたっており、老朽化が目立ってきたことも建て替えの要因となった。
  • 受け皿となった三田日東ダイビル

こうして日比谷ダイビル建て替え計画の策定が始まったが、計画では1号館と2号館を一括して建て替えるか、別々に段階的に実施するか、それぞれのモデルケースを想定して営業政策面からの検討を行った。また隣接する日土地ビルとの共同再開発も検討されたが、これは合意が得られず単独での新ビル建設計画となった。

建て替えにおける最大の懸案であったテナントの仮移転先についても当時の東京都心は超貸手市場であったことから、ロケーション、面積、グレードなどにおいて同レベルの物件が見つからなかったため最終的に建築中であった三田日東ダイビルを受け皿として使用することになった。有力テナントからも合意が得られたことから建て替え計画は本格的に動き出した。

1985年に決定された計画では、基本的計画として

  1. 1号館を解体し、その跡地に高層棟(第Ⅰ期)を建設する
  2. 2号館は1号館の解体、建設中でも通常通りに稼働する
  3. その後、2号館を解体し、低層棟(第Ⅱ期)を建設する

という順序で進めることとし、「永年の歳月を経ても、なお近隣環境に良好な影響を与え、機能において陳腐化せず、形態において風格を有する当社東京におけるシンボルとなるようなビルとする」「経済性、機能性、安全性を重視したビルとする」「省力化、省エネルギーを重視したビルとする」「インテリジェント化対応ビルとする」という基本方針が定められた。