ショートヒストリー
ダイビルの歴史3
8人の侍
大阪ビルヂング設立8名の発起人
「こうやって集まるのも、わが社設立当日以来ですな。まったくもって皆さんお忙しい」
大阪ビルヂング初代社長の村田*1は、磊落に笑ってテーブルを囲む男たちをぐるりと見回した。
1926年9月、ここは完成したばかりの大ビル倶楽部特別食堂。そのこけら落としとも言うべき食事会に、大阪ビルヂング設立の発起人となった8名が一堂に会したのであった。
「最も多忙なお方は、ついさっき東京から駆けつけたばかりだ」
井上*2の口に上ったのは日窒コンチェルンを率いる野口*3である。苦笑しつつも野口の息はまだ弾んだままだ。
英国風のシャンデリアからは、柔らかな光がテーブルに落ちている。大阪の経済界を牽引する面々の集まりだが、場はいたって和やかだ。大阪商船を出自とする者が多いためか、みな気心が知れた様子である。
関西の電力供給を担う山岡*4と木村*5は頭を寄せ合って話し込んでいる。その横で、池尾*6はレタスのサラダを箸で食べるかフォークでつつくか思案中だ。林*7も洋酒リストのチェックに余念がない。
テーブルには設計者である渡辺節の姿もある。四十を過ぎたばかりの渡辺は、初の日本製テラコッタの採用や、着工二年前に経験した関東大震災を教訓に大阪初となる耐震構造を施すなど、気鋭の建築家として知られていた。その渡辺は隣の堀*8に壁面の装飾について熱心に説明しているようだ。堀は何度も大きく頷いて、耳を傾けている。
大阪ビルヂング設立の発起人たちは一様に満ち足りた面持ちで食事を楽しんでいる。大ビル倶楽部がもたらす優雅な時間。このひと時がいつまでも続けばいいと思わせてくれる。実際、談笑のさざ波は消えることがなく、懐中時計を取り出して時間を気にする者もいない。
大阪を代表するビルの完工に立ち会った8人の侍は今、ある感慨を改めて噛みしめている。自分たちだけではなく、建設に関わった職人一人ひとりの想いが詰まっているからこそ、この優しさと気品に満ちた空間が実現できたのだと。
*1:村田 省蔵(大阪商船専務取締役、大阪ビルヂング社長)
*2:井上 虎治(大阪商船出身、衆議院議員)
*3:野口 遵 (日本窒素肥料社長)
*4:山岡 順太郎(大阪商船出身、日本電力社長)
*5:木村 清 (大阪商船出身、阪和電気鉄道社長)
*6: 池尾 芳蔵(大阪商船出身、日本電力副社長)
*7: 林 安繁 (大阪商船出身、宇治川電気社長)
*8:堀 啓次郎(大阪商船社長)