01 1925 大阪 ダイビル本館 先駆的な取り組みによる
本格的貸ビルを実現

日本建築界の先駆者・渡辺節

ダイビルの歴史をビル建築から考えれば、ダイビル本館の設計を担当した渡辺節という日本建築界の先駆者に触れないわけにはいかないだろう。ダイビルの初期の建築設計を一手に担ったのが渡辺であり、当時は渡辺建築事務所を主宰していた。

  • 渡辺節(株式会社渡辺建築事務所提供)

渡辺は鉄道院(鉄道省、運輸省を経て現国土交通省鉄道局)に勤めた後、1916(大正5)年に独立して大阪で建築設計事務所を開設した。大型物件の建築設計に次々と携わったが、一方で海外の技術や知識の吸収にもきわめて熱心であった。1920年と1922年の2回にわたって欧米の建築界を視察し、その際、「歴史において現勢において吾国のそれは極めて幼稚なものであり、東京・大阪の大都市にあってすら、貸事務所としての喧伝に値するものはすこぶる少数である」との痛切な感想を残した。その後渡辺は旧京都駅、旧日本興業銀行本店、大阪商船神戸支店ビル、そしてダイビル本館など当時の日本を代表する建築物を手がけ、建築家としての評価を揺るぎないものにしていった。

渡辺は意匠設計だけでなく、設備にも関心が高かったとも言われている。大阪商船神戸支店では、日本人の設計による最初の強制式温水暖房を採用し、旧日本興業銀行本店ではオフィスビルとしてはおそらく日本で最初だろうと言われた冷房を試みている。

そうした渡辺だけに世界有数の地震国であるわが国のビルには高い耐震性を持たせなければならないと考えたのはある意味、当然であっただろう。