05 1984 大阪 堂島ダイビル 先駆けとなる空中権設定による
初のホテル建設

活発化する都市再生事業

限られた土地をいかに合理的かつ健全に高度利用していくか――このことは東京や大阪といった大都市圏ではきわめて切実な問題であった。その促進を目的として1969(昭和44)年に制定されたのが都市再開発法である。これによって高度成長期にはビルブームの大きなうねりが引き起こされたのだが、1970年代に2度のオイルショックが発生するとたちまちブームは終焉してしまった。その後、都市再生事業が活発化するのは1980年代に入ってからである。

  • 建築基準法改正により超高層ビルの建設が可能となった

それ以前と決定的に異なったのは、量を確保できればいいという段階から、さらに一歩進んで「質の高い街づくり」が求められるようになったことである。その背景には都市再開発を促す法的な整備があったが、その中でも1961年4月に施行された都市計画法および建築基準法改正による「特定街区」制度の創設は大きな意味を持った。ある街区において既定の容積率や建築基準法の高さ制限を適用せず、別に都市計画で容積率・高さなどを定める制度のことだが、1963年7月の建築基準法改正による「容積地区」制度の創設、すなわち高さ制限の撤廃と結びついて超高層ビルの建設を可能にすることになる。その第一号が1968年にオープンした霞が関ビルにほかならなかった。そして、この流れの中で認められるようになったのが、空中・地中の区分地上権の創設、すなわち「空中権」であり、1966年の民法改正で認められ、1980年代にはそれを使った建築物が登場することになった。

では、ここで言う空中権とは何か。電線や電柱、トンネルなどを仮設する際に使われる空中権と、土地の有効利用を目的とするために使われる空中権の2種類があるが、都市再開発で使われるのは後者。すなわち「都市計画で定められた容積率のうち、未使用の余剰容積率を、特定の街区や高度利用地区など特別な地域内で、隣接地に移転できる不動産取引」のことである。容積率が、それを売買することで、許容される以上の床面積を持つビルを建てることが可能になるというわけである。ある意味、都市再生事業を高度に推進しようとすれば、当然利用されるべき取引形態であった。そしてダイビルはこの空中権取引に大阪市北区堂島浜で計画していた堂島ダイビル建設プロジェクトにおいて初めて挑むことになるのである。