05 1984 大阪 堂島ダイビル 先駆けとなる空中権設定による
初のホテル建設

エポックとしての堂島ダイビル

1982(昭和57)年7月に始まった工事は1984年9月に完工し、10月1日に全日空エンタプライズに引き渡してダイビルのプロジェクトは完了した。ホテルは10月18日に「大阪全日空ホテル・シェラトン」としてオープンし、堂島ダイビルとクラブ関西と周辺の景観は1986年12月、「大阪まちなみ賞」とも呼ばれる「大阪都市景観建築賞」の第6回特別賞を受賞した。同賞は大阪府と大阪市が、美しく、個性と風格のある街の景観づくりを進めていくために、周辺環境の向上に資し、かつ、景観上優れたまちなみを毎年表彰しているもので、特別賞というのは建築に新しい意味や広がりをつくり出した建物が授賞対象となる。

  • 堂島川の対岸から見た堂島ダイビル

これに先立つ1986年6月には堂島ダイビルとクラブ関西が緑化についても一体感を持って街区の景観向上に貢献したことが評価され、大阪市長から1986年度建築物に付属する緑化施設の表彰を受けた。これはダイビルが新ダイビルなどで進めてきた緑化の取り組みがあらためて評価されたものと言えた。

ダイビルにとって堂島ダイビルの持つ意味はきわめて大きいと言える。初めてオフィスビルでない営業用建物を建設したことに加え、初めて10階以上の超高層ビルを建築したこと、そしてこの超高層ビルを可能にするため、これも初めての試みであった空中権設定を行ったことである。そういう意味で、堂島ダイビルはダイビルにおけるエポック的な意味を持つビルとして語り継がれることになるだろう。