06 1989 東京 日比谷ダイビル 稼働中のビルを建て替える
高難度のプロジェクトに挑む

失敗が許されなかったプロジェクト

日比谷ダイビル建て替えプロジェクトの第Ⅰ期工事は1986(昭和61)年4月に始まり、1989(平成元)年10月に完工をみるが、この間の苦労も並大抵ではなかった。一つはこの近辺の地盤が軟弱で、施工業者が神経をとがらせる基礎工事が要求されたことである。したがってコストは高くなるが、耐久性のある直径850mmという最大級の列柱を使って山留めとし、古い基礎を残したまま、ロックオーガーという重機を使って松杭を基礎コンクリートと一緒にえぐり取る工法を採用した。結果として最後まで周辺の建物や道路に影響を及ぼすことなく安全に精度よく工事を進めることができた。

  • 南面1階柱頭の鬼面

そうした中で旧日比谷ダイビルの歴史的な価値を再認識させる出来事があった。渡辺節の設計による旧日比谷ダイビルは、1号館がロマネスク様式を用い、2号館がゴシック様式のアール・デコ風とし、ともにヨーロッパ中世の様式をベースにしており、外壁に「魔除け」として7種類のライオン、鬼、ブタの頭部の焼物127体を装着するなど芸術性の高い建物として知られていた。さらに1号館の1階正面左右壁面には大国貞蔵作の青銅の女神像と勇士像を配置していた。建築史家からは「他に例をみない意欲的な試み」と評価されていたビルだったが、その解体のニュースが報じられると、全国各地から「動物面の壁だけでも保存できないか」といった声が寄せられたのである。その声に応えるかたちで、解体前に取り外された鬼面やブタやライオンの獣面はやがて新日比谷ダイビルに受け継がれることになった。また1階正面の青銅の女神像と勇士像も昔のままの姿で配置された。

第Ⅰ期工事期間中はバブル景気の真っ最中であり、東京でもビルの建設ラッシュが続いていた。資材と労働力の不足は深刻であり、施工業者はその確保に四苦八苦しただけでなく、それは工事スケジュールの遅滞にもつながりかねなかった。しかし、ここでも関係者の懸命の努力があり、第Ⅰ期工事は当初の予定通りに完成し、1989年10月4日の竣工式と同時にオープンすることができた。引き続き第Ⅱ期工事を進めることになったが、その歴史的価値から保存問題が浮上し、若干日程はずれ込んだものの、1991年に完成し披露された。

日比谷ダイビルの建て替えプロジェクトはこうして終了したが、この案件が持つ意義はきわめて大きいものだった。先に指摘した通り、稼働中のビルを建て替えるというダイビルにとって初めての試みだったことである。いや、厳密に言えば、同業他社にとってもほとんど未体験のプロジェクトであった。移転先を確保した上で計画を練り上げ、迅速に解体~建築作業を進めていった経験のある同業他社はほとんど存在しなかったのである。だからこそ業界からも注目され、その成り行きをじっと見守る同業他社も少なくなかった。

ビルの建て替えが避けられず、増加していくことが確実な中、予定通りに計画を完遂したのは、ダイビルへの評価をさらに高めることにもつながっていった。ある意味、ダイビルの今後の経営の成否を図るうえで決して失敗が許されなかったのが日比谷ダイビル建て替えプロジェクトであった。