06 1989 東京 日比谷ダイビル 稼働中のビルを建て替える
高難度のプロジェクトに挑む

苦肉の策の仮移転先確保

1980年代、諸外国との貿易不均衡の拡大によってわが国には市場開放が強く求められ、内需拡大策に転換せざるを得なくなり、その影響から東京都心の貸室事情は逼迫の度合いを強めていた。自社所有のビルを抱えている同業他社の中にもこの際、既存ビルを建て替え、事業拡大を図りたいと考える会社も多かったのだが、二の足を踏んでいたのは、テナントの移転問題がネックになっていたからであった。受け皿となるビルが見つからず、仮に見つかったとしても、すべてのテナントに公平な移転先の確保となるとさらに困難であり、したがってこれに伴うテナント補償は予想することさえできなかった。そうした中での日比谷ダイビルの建て替え計画だった。

  • 移転先となった三田日東ダイビル

きわめて困難ではあるが、むろん断念するわけにはいかない。そこでロケーションや面積、グレードなどを総合的に考慮しながら受け皿となるビルを探し回ることになったのだが、都合のいいビルは見つからなかった。関係者に焦燥の色が濃くなり始めた、そうした折、ちょうど建築中であった三田日東ダイビルを受け皿として使うことはできないかという苦肉の策が浮上したのである。同ビルは1986(昭和61)年9月に完成予定であり、日比谷ダイビルのテナントに一時的に移転してもらおうというのだ。早速、数社のメインテナントに打診したところ、そのビルへの仮移転はやむを得ないとの了解を得、ここに仮移転問題は一応の解決を見たのだった。