02 1927 1931 東京 日比谷ダイビル(1号館 2号館) 積極果敢な経営政策により
いち早く東京に進出

「夏は冷気、冬は暖房、サービス第一主義」

日比谷ダイビル2号館でも最新の設備が導入されたのは1号館と同様であったが、特筆すべきは換気冷房装置を設置したことである。7階、8階の上層階を除いて地階から6階までの全室に四季を通じての換気と夏季の完全冷房という、当時としては画期的な執務環境を実現したのである。そのことがいかに画期的だったかは当時の新聞広告に使われた宣伝惹句が「夏なほ寒き大阪ビル(全館冷房装置)」という、現在では考えられないものであったことからも伺える。

さらに百貨店にしかいなかったエレベーターガールを貸ビルに採用したことも特筆すべきだろう。当時の貸ビルは男性の昇降機係が運転にあたっているのが一般的で、女性が就くのは初めてであった。全室冷暖房といい、エレベーターガールの採用といい、日比谷ダイビル2号館は従来の常識を覆す快適性を実現し、だからこそ「夏は冷気、冬は暖房、サービス第一主義」とのキャッチフレーズが使われたのだった。

開業後は1号館の時と同じく入居率は高くなく、苦難のスタートとなったが、徐々に入居率は高まっていき、その中にはソビエト通商部や映画会社のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)、当時わが国ではあまり発展していなかったトーキー機械の売り込みを図っていた米国ウェスタン・エレクトリック(1995(平成7)年に消滅)などがあった。