06 1989 東京 日比谷ダイビル 稼働中のビルを建て替える
高難度のプロジェクトに挑む

段階的建て替え方式の採用

もう一方の建て替え方式は、1号館・2号館を一括して建て替えるのではなく、時期をずらして建て替える方式とした。同時に解体した場合、テナントの移転先の確保がさらに難しくなることは目に見えていたし、さらにビルの心臓部にあたる機械室が2号館の地下に集中しており、1号館を解体しても2号館の機能に影響を与えないことから、2号館での営業が続けられる点も大きかった。一括方式で同時に解体すれば、期間中の貸室収入は大きく落ち込むが、段階的であれば、それを最小限に抑えることができるとの判断もあった。

  • 完成した1号館と建て替え前の2号館

基本計画では、「第Ⅰ期工事として既存1号館を解体し、その跡地に地上21階、地下3階の高層の事務所棟を建設し、その間、2号館は営業を続ける。第Ⅱ期工事では、2号館跡地にエントランスホールを設け、残余の部分を公開空地として整備し、地下1階に高級レストランを設置する」という案が盛り込まれた。

およそ10年にわたる「1号館解体→高層棟建築→2号館解体→低層棟建築」というダイビルにとって前代未聞のプロジェクトがこうして始まったのだった。

最大の懸案がテナント各社に建て替え計画を説明し、了解を得ることであった。そこで1985(昭和60)年7月16日、帝国ホテルにおいてテナント20社に対する説明会を開催した。ここでは、日比谷ダイビル建て替えの必要性や建て替えのスケジュール、工事期間中の仮移転先など計画の概要についての説明を行った。これはあくまで総論的な説明であり、各論に関しては当日以降、ダイビルの東京支店営業課を主体に支店幹部が一体となった個別折衝に委ねられることになった。そして、この個別折衝でさまざまな苦労とそれを乗り越えるための努力が重ねられることになるのである。