02 1927 1931 東京 日比谷ダイビル(1号館 2号館) 積極果敢な経営政策により
いち早く東京に進出

多くの文壇人が集う場所として

日比谷ダイビル1号館・2号館を通じて最も異色だったのは出版社の文藝春秋社とレインボーグリルが入居していたことだろう。『文藝春秋社三十五年史稿』には次のような記述がみえる。「大阪ビル第一号館(日比谷ダイビル1号館)は、内幸町・勧業銀行の横手に、新築されたばかりだった。チョコレート入りのビスケットを重ねたような、当時としては異色ある八階建てのビルディングであった。

  • レインボーグリル鶴の間

…(中略)…以降、二十年近く、今次戦争後同ビルがアメリカ軍に接収されるに至るまで、文藝春秋社はこの二つのビル内を、ある時期には旧館の何階何号室、ある時期には新館の何階何号室、ある時期には新館の何階全部という風に、社運の進展とともども、利用することになるのである」。

さらにレインボーグリルについては「旧館二階211号室に、麹町時代の不揃いな椅子テーブルを持ち込んで、事務が始まると間もなく、地下室にレインボーグリルが開店した。大きなサロンとグリル、宴会場も酒場もゆとりある造りだったが、殊にサロンに備えられた革張りのソファと椅子は、それから永く、文藝春秋社に関連して集まる多数の文筆人の愛用する所となった」とある。

当時文藝春秋社の社長で、文壇の大御所と言われた菊池寛もレインボーグリルの常連であったという。