04 1967 東京 八重洲ダイビル 首都圏の表玄関というロケーションを生かすプロジェクトに挑戦

長期的観点によるテナント誘致

1967(昭和42)年9月に開館した八重洲ダイビルだったが、開業後の歩みは決して順調ではなかった。工事期間中の1965年にわが国経済は戦後最大の不況に見舞われ、1966年の景気刺激策によって回復の兆しは見せたものの、それ以前からのビル新築ラッシュもあって入居状況は思わしくなかった。

当初はラサ工業や東急不動産など4社が入居したのみで入居率はわずか14.4%にしかすぎなかった。その後、協和銀行(協和埼玉銀行を経て現りそな銀行)の八重洲支店が開設されたが、状況が大きく改善するまでには至らなかった。それでもダイビルが無理なテナント誘致をすることがなかったのは、ダイビルを決して雑居ビルにはしないとの決意によるものであった。無理な誘致は貸ビルとしての価値を著しく損なう恐れがあるからであり、たとえ営業状況が苦しくても長期的観点に立ったテナント誘致を進めたのだった。

こうした姿勢が功を奏し、1968年にブリヂストン液化ガス(現ENEOSグローブ)、1969年にシェル石油(昭和シェル石油を経て出光興産と経営統合)とブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)、日本精工、タキロン化学(現タキロンシーアイ)といった優良テナントを迎えることができ、ほぼ満室を実現した。

この決して雑居ビルにはしないという決意はすべてのダイビルを貫く不変の姿勢となっている。