08 2005 東京 秋葉原ダイビル 秋葉原で世界的なIT拠点づくりの
一翼を担う

変貌してきた旧神田青果市場跡

かつてそこには青果市場があったという。慶長年間というから今から400年以上も前、江戸に幕府が置かれて間もない時期に開かれたという菜市に端を発する。その後、さまざまな変遷を経て秋葉原駅前に神田青果市場(やっちゃば)として誕生したのが1928(昭和3)年のことであった。戦後は闇市としてのにぎわいを見せたが、わが国の高度経済成長に伴い、さまざまな電子機器や部品、ソフトウェアを扱う店舗が建ち並ぶ日本一の電気街として発展し、世界的にも知られるようになった。その後、大型家電量販店やディスカウントストアの台頭により家電市場が衰退すると主力商品をパソコンに移し、その結果、秋葉原はパソコンマニアが集う街として発展することになる。

  • 秋葉原駅西側の広大な空地

2000(平成12)年以降はアニメやアイドル歌手グループに代表されるサブカルチャーの街としても注目を集めるようになったが、江戸時代から明治時代にかけて秋葉原の空地には大道芸の小屋が建ち並び、講談や浪曲、「かっぽれ」と呼ばれた滑稽な踊りが披露され、時にはサーカスが開かれたというから秋葉原は大衆文化のDNAを受け継ぐ土地でもあったと言える。

その秋葉原には1970年代以降、旧国鉄の貨物駅廃止や神田青果市場の移転によって広大な空地が生まれており、東京都ではその活用に向け、1992年に再開発の基本方針を策定し、2000年には石原慎太郎東京都知事の主導によって秋葉原の再開発プロジェクトが動き出した。民活の手法を用い、「電気街が持つ魅力や世界的知名度に支えられた集客力を活用し、IT関連産業の世界的な拠点を形成していく」という「東京構想2000」である。同時に発表された「秋葉原地区まちづくりガイドライン」において旧神田青果市場の跡地を利用して世界的なIT拠点をつくろうという構想が示された。

2001年、これに基づいて東京都によって秋葉原駅付近土地区画整理事業内「保留地」の公募が行われた。ダイビルにとってもこの案件はきわめて魅力的であった。繁華性が高く、世界的にも知名度の高い「Akihabara」において駅至近に位置し、商業だけでなく各用途においても高いポテンシャルを持つと考えられたからである。

応札にあたってダイビルはNTT都市開発および鹿島建設とアライアンスを組み、さらにNTTコミュニケーションズなどの情報通信企業や家電メーカー各社、テレビ局、商社、金融機関など日本のリーディングカンパニー34社による企業コンソーシアムを形成し、最終的に落札することができた。これほどの多種多彩な企業とアライアンスを組むのはダイビルにとっても初めてであった。