04 1967 東京 八重洲ダイビル 首都圏の表玄関というロケーションを生かすプロジェクトに挑戦

八重洲地下商店街との一体感

八重洲ダイビルは着工から2年8カ月後の1967(昭和42)年8月に完工し、地上9階、地下5階、塔屋4階の灰褐色に彩られた気品ある姿を現したが、首都の表玄関にふさわしいビルをということでいくつかの配慮がなされた。その代表的なものが周辺の景観を損なわないようにという配慮から袖看板類の取付を一切認めなかったことである。これにより建築家村野藤吾の芸術性の高い設計と相まって端正で上品なイメージを醸成することになった。

  • 八重洲地下商店街との連絡通路

1階には歩道に面してショーウインドーを設け、夜間の歩道に照明を照らすことで、街並みが暗くならないようにした。一方で商業的な賑わいの演出にもこだわり、八重洲地下商店街と幅6mの地下通路で結ばれていた。当時、八重洲地下商店街は日本一と言われる規模を誇り、ここと結ばれることで八重洲ダイビルと東京駅が直結することになった。訪問者には雨天でも雨具が要らず、通勤にもショッピングにも便利であるとして好評だった。また地階に2台のカーリフトで地上と直結させた74台収容のガレージを設置したのだが、これは八重洲ダイビルの規模を考えると異例と言っていいほどの大きさであった。

こうしたビルの外観上の配慮や夜間の照明への気配り、交通事情を考えた駐車スペースの確保は、同じくダイビルの工藤社長が地鎮祭の挨拶で表明した「私どもの会社では、資本すなわち株主および金融機関に対する責任、従業員の幸福に関する責任、それと並んで地域社会に貢献するということを経営方針としております。従って、この新しいビルディングも、地域社会すなわち東京都に対して、機能的にも景観的にも寄与するものでなくてはならない」という思いを実現したものとなった。