
第3章 発展期
1958
1988
第1節 ビル事業の拡大
8 堂島ダイビルの完工
1981(昭和56)年9月8日、当社は全日空エンタプライズとの間で、当社所有地に高級都市ホテルにふさわしい専用建物を建築し、全日空エンタプライズに一括賃貸し、同社が自社の指定する名称でホテルおよびホテル付帯事業を運営するという「基本覚書」を締結した。さらに当社はクラブ関西との間で、それぞれが所有する土地の合理的かつ高度利用を図るため、これを一体として利用し、建築基準法上の総合設計制度に基づく建物を建築することを目的に「土地共同開発基本覚書」を取り交わした。そして、この覚書に準拠して、1982年11月20日、土地空間の高度利用を図ることを目的とした「空中権設定契約」を締結した。これにより当社はクラブ関西の所有する土地2722m2(823坪)の空間に「空中権」を設定することになった。空中権とは、ある土地に通常認められている容積率より小さい建物しか建っておらず、将来にわたっても大きな建物を建てる予定がない場合、利用されない残りの容積の開発権を隣接地に移し、許容される以上の床面積を有するビルを建築しようという考え方に基づくもので、当時画期的な手法として注目を集めたものだった。
当社、クラブ関西、全日空エンタプライズによるプロジェクトが始まった。設計は日建設計に委嘱し、施工は大林組、大成建設、鴻池組の3社で構成する共同事業体と契約した。設計コンセプトは「水と緑と光」とし、地上23階(一部6階)、地下3階、客室数500室の超高層ホテルを目指すこととした。
起工は1982年7月23日、上棟式が1983年11月8日、完工が1984年9月30日であった。
本物件は当社にとってオフィスビルでない初の営業用建物であり、初めての10階以上の超高層ビルであった。外装は淡いベージュ色のタイル打ち込みPC版を使い、ブロンズ色の連続窓を横のアクセントとしたシンプルなデザインで、道路を隔てた新ダイビルの外観ともよく調和していた。現出したクラブ関西と堂島ダイビルと周辺の景観は1986年12月2日、「大阪都市景観建築賞」第6回特別賞、別名「大阪まちなみ賞」を受賞した。
完成した堂島ダイビルの竣工式は1984年10月18日に「大阪全日空ホテル・シェラトン」(1996(平成8)年1月1日大阪全日空ホテルに改称、2008年10月1日ANAクラウンプラザホテル大阪に改称)の開業披露パーティと合わせて開催された。
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1923 1944 草創期
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第2節 ビル事業開始
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第4節 戦時下での事業展開
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1945 1957 復興期
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第2節 ビル建設の再開
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1958 1988 発展期
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第2節 M&Aによる事業拡大
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第3節 企業体質の強化
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1989 2003 拡充期
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第2節 CIの導入と社名の変更
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第3節 災害対応とリスクマネジメント
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2004 2023 変革期
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第3節 海外での事業展開
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第4節 企業体質のさらなる強化とグループの再編