
第2章 復興期
1945
1957
第1節 戦後復興
2 日比谷ダイビルの接収
GHQはわが国で占領政策を進めるにあたって、東京や大阪で戦火を免れた中心部の高層建築物を次々と接収していった。大阪では市内の接収不動産は50件、9万2000坪にもおよび、そのなかにはダイビルも含まれていた。1945(昭和20)年11月25日、第一次として780m2(236坪)、翌1946年5月15日に第二次602m2(182坪)の合計1382m2(418坪)が接収された。幸い接収部分は8階と屋上階の一部に限られたが、接収部分に入居していたテナントは館内に割り込んで当座をしのいでもらうという犠牲を強いられた。
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接収中の日比谷ダイビル
一方、東京ではさらに大規模な接収が行われ、代表的なビルが次々と接収されていった。当社の日比谷ダイビルもそのなかに含まれるとの情報が寄せられたため、その対策を講じたが、その努力もむなしく、1946年6月21日、1・2号館の接収が発令され、6月26日正午をもって明け渡すことになった。交渉の結果、明け渡しは6月30日に延期されたが、関係者は発令から明け渡しまでの短期間に引越し準備に忙殺されることになった。
当社の東京支店も例外ではなく移転を余儀なくされたため、残務整理をしたのち、1946年8月1日に近接する幸ビルの好意によって3階の1室を借りて移転した。接収後は「HOTEL OSAKA」として教師や看護師、交換手、タイピストなどの婦人専用の宿舎として利用された。
日比谷ダイビルが返還されるのは1958年12月1日まで待たねばならなかった。なお、大阪のダイビルは8階の1382m2(418坪)が1952年4月15日に返還されていた。
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1923 1944 草創期
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第2節 ビル事業開始
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第4節 戦時下での事業展開
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1945 1957 復興期
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第2節 ビル建設の再開
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1958 1988 発展期
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第2節 M&Aによる事業拡大
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第3節 企業体質の強化
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1989 2003 拡充期
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第2節 CIの導入と社名の変更
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第3節 災害対応とリスクマネジメント
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2004 2023 変革期
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第3節 海外での事業展開
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第4節 企業体質のさらなる強化とグループの再編