第2章 復興期

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第2節 ビル建設の再開

1 堂島での土地取得

1950(昭和25)年6月25日に勃発した朝鮮戦争によってわが国には特需ブームが訪れ、産業界は一気に活況を呈した。それに伴い、貸事務所の需要が旺盛となり、戦後における第1次ビルブームが到来した。

  • 渡辺橋 大江橋

    米軍の拘置所が置かれていた土地

そうしたなかでダイビルの修復に目途をつけるとともに、地代家賃統制令の改正による統制適用除外によって安定したビル経営が可能となった当社は、オフィス需要の好調が今後も続くと判断し、新たなビル建設用地の調査を開始した。注目した土地の一つが大阪・堂島であった。この一帯は徳川時代から諸藩の蔵屋敷が置かれ、収納した米を売買するための米市場が自然発生的に形成され、やがてわが国における取引所の起源となり、一説には世界初の本格的な先物取引市場とも言われる堂島米会所が誕生した。明治維新後、この市場は堂島米会所から堂島米油会所、大阪堂島米商会所、大阪米穀取引所としてわが国の流通経済で重要な役割を果たしてきたが、1939年に閉鎖されていた。戦後は米軍に接収されて駐留軍の拘置所として使用され、周辺は空襲によって焼け野原になっていた。接収解除の見通しは立っていなかったが、当社はその将来性を見据え、買収することとしたのだった。

買収計画は2期にわたって進められ、第1期は買収予定地の東部を対象とし、1951年6月までに完了した。残りの西部は第2期計画として買収に乗り出したが、このころから接収解除の見込みがうわさされるようになったため地主側が売り惜しみ、さらに1953年4月28日に実際に接収解除となったことから市街地の地価が高騰し、買収は難航した。

最終的にはさまざまな経緯はあったものの、全面積1万3346m2(4037坪)の土地(大阪市北区堂島浜通1-25・堂島中1-1-1)を買収することができた。