
第1章 草創期
1923
1944
第2節 ビル事業開始
3 ダイビル本館の開業
1925(大正14)年10月1日、オフィスビルとしてダイビルが開業した。開業当時は第一次世界大戦後の不況の影響から抜け出すことができず、低迷する経済状態での開業となった。2年前の1923年9月1日に発生した関東大震災による甚大な被害からも復興しておらず、復旧資材や食料品の緊急輸入によって国際収支が悪化し、巨額の復興予算とこれを賄うための公債の発行はインフレーションを誘発し、経済界は混乱のなかにあった。
そうした厳しい情勢下の開業ではあったが、ダイビルの場合、そもそもの発足が大阪商船、宇治川電気、日本電力の3社の社屋に充てることが主要な目的であったため、不況の影響は限定的であった。開業時にはこの3社に加え、日本窒素肥料(現JNC)、大阪鉄工所(現日立造船)、大阪陶業などが入居し、実質的な営業開始期である第5期(1926年3月)末には貸付可能面積の84.1%にあたる1万8013m2を貸し付け、26万5000円の貸室収入をあげることができた。同時に経費の節減にも努めたため、10万7000円の利益を計上し、第1回配当として年5%の現金配当を実施した。有効面積2万1420m2を誇る巨大ビルとしてはまず順調な滑り出しと言ってよかった。
そのほか、入居したのは住友銀行(現三井住友銀行)や大阪貯蓄銀行(日本貯蓄銀行などを経て現りそな銀行)、三十四銀行(三和銀行などを経て現三菱UFJ銀行)などの金融機関のほか、郵便局や英国、ドイツ(1930(昭和5)年から入居)の領事館も居を構えた。
また1926年9月にはビル最上階に大ビル倶楽部が設立された。在館者のための倶楽部として社交の場を提供するもので、社交室、読書室、特別室、娯楽室のほか食堂、ビリヤード、理髪店などを配置し、英国中世風の優雅な雰囲気のなかで集い、交流する場とした。同時に開業した西別館では当初1階はタクシー会社の車庫、2階は大ビル西食堂として利用したが、食堂を副業として経営するには経験不足もあって不振だったため、1937年9月に閉鎖した。
ダイビルの出現は、大阪の中心部中之島の景観を一新し、このエリアに大きな経済的、社会的意義を与える存在として先駆的な役割を果たした。
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1923 1944 草創期
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第2節 ビル事業開始
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第4節 戦時下での事業展開
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1945 1957 復興期
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第2節 ビル建設の再開
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1958 1988 発展期
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第2節 M&Aによる事業拡大
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第3節 企業体質の強化
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1989 2003 拡充期
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第2節 CIの導入と社名の変更
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第3節 災害対応とリスクマネジメント
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2004 2023 変革期
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第3節 海外での事業展開
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第4節 企業体質のさらなる強化とグループの再編