
第3章 発展期
1958
1988
第1節 ビル事業の拡大
1 日比谷ダイビルの接収解除
東京や大阪ではGHQによって多くのビルが接収されていたが、1952(昭和27)年4月にサンフランシスコ平和条約が発効されるのと相前後して次々と返還された。一方で日比谷ダイビルをはじめ三菱本館、明治ビル、東京海上ビル本・新館、有楽館、郵船ビルなどは1955年になっても接収解除とはならなかった。当社を含め、東京ビルヂング協会から返還の促進を陳情したが、他のビルは返還予定時期が明示されたものの、日比谷ダイビルに関してのみ「目下ノ処不明」との回答であった。
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接収解除返還式
当社は返還の見通しを改めて示してほしいとの要請を書面にて行ったが、返答が得られなかったため、1955年8月30日付で東京調達局長あてに契約解除を申し入れた。しかし、交渉は平行線をたどったため、ついに1956年7月、国を相手として日比谷ダイビルの明渡しならびに損害賠償請求の訴訟を提起するに至った。これに対し、国は米国との条約に基づき、内閣総理大臣の使用認定の上で東京都収用委員会の裁決が下され、1957年2月から2年間強制使用されることになり、この期間に対する補償額が支払われることになった。当社として納得のいく裁定ではなかったが、最終的にこれを受け入れて示談が成立し、訴訟を取り下げた。
こうした経緯を経て当局より日比谷ダイビルを返還する旨の通知を受け取ったのは1958年10月31日であった。同年12月1日、日比谷ダイビルは接収解除となり、12年5カ月にわたった日比谷ダイビルの「負の歴史」は終わった。
接収解除後、直ちに接収以前のテナントに書状を発行するとともに営業再開に向けて復旧改装工事に着手した。工事は大林組にて突貫で行われ、1959年5月28日に完成し、これに伴い、当社東京支店が1号館2階の1室に復帰した。同年6月1日、日比谷ダイビルは再開業し、大阪商船、東京電力、住友ベークライト、関西電力、日新電機といった有力企業をテナントとして迎えることができた。
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1923 1944 草創期
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第2節 ビル事業開始
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第4節 戦時下での事業展開
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1945 1957 復興期
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第2節 ビル建設の再開
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1958 1988 発展期
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第2節 M&Aによる事業拡大
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第3節 企業体質の強化
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1989 2003 拡充期
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第2節 CIの導入と社名の変更
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第3節 災害対応とリスクマネジメント
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2004 2023 変革期
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第3節 海外での事業展開
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第4節 企業体質のさらなる強化とグループの再編