
第1章 草創期
1923
1944
第2節 ビル事業開始
2 ダイビル本館の設計と工事
計画されたビルは地上8階、地下1階、軒高は地盤面から31m、延床面積3万2231m2(9749坪)という当時としては西日本最大のビルとなる予定であった。構造は鉄筋コンクリート造を採用したが、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で多くのビルが被害を受けた教訓を生かし、内藤多仲の計算に基づく耐震耐火構造を採用し、建物内部の主要壁体をすべて強固な耐震壁とした。渡辺節によれば、大阪では最初の耐震構造を有する建築物であった。
ビルの外装も特徴的であった。全体がオリエント風味を加味したネオロマネスク様式の建物であり、内外の装飾は簡素としたものの、要部には多種の彫塑を施した。なかでも中央玄関の半径アーチの上には帝展審査員であった大国貞蔵による「鷲と少女の像」を飾った。さらに1階正面に並んだ円柱、角柱12本および入口両側には播州の竜山石を使用し、ギリシャ風彫刻が施された。
資材については積極的に国産品を使用することを原則とし、大阪陶業(現日本ネットワークサポート)のテラコッタ、大阪窯業(現ヨータイ)のレンガを採用したが、このテラコッタが国産テラコッタの始まりとなった。
工事は順調に進み、1925年9月17日に完工し、西日本随一と言われた大阪ビルヂング(1989(昭和64)年1月ダイビルと改称)として誕生した。なお、付随施設として鉄筋コンクリート造・地上2階建ての西別館と鉄筋コンクリート造・平屋建ての大阪商船手荷物扱所も完成させた。
-
1923 1944 草創期
-
第2節 ビル事業開始
-
第4節 戦時下での事業展開
-
1945 1957 復興期
-
第2節 ビル建設の再開
-
1958 1988 発展期
-
第2節 M&Aによる事業拡大
-
第3節 企業体質の強化
-
1989 2003 拡充期
-
第2節 CIの導入と社名の変更
-
第3節 災害対応とリスクマネジメント
-
2004 2023 変革期
-
第3節 海外での事業展開
-
第4節 企業体質のさらなる強化とグループの再編