
第1章 草創期
1923
1944
第1節 会社創立
3 宇治川電気と日本電力
新社屋の建設に乗り出した大阪商船だったが、当時、神戸市海岸通5番地(現神戸市中央区海岸通5番地)で神戸支店の建築を進めており、地上7階、地下1階、延床面積1万2050m2(3645坪)の規模を持つ神戸支店は1920(大正9)年8月に着工し、1922年3月に完工した。
神戸の商船ビル完成の目処が立ったところで大阪商船では本社社屋の建設を本格的に推進することとし、1922年1月、臨時建築部の機能を拡大強化した。同年3月、神戸商船ビルの設計に関わった渡辺建築事務所と新築設計監督覚書を交わし、設計作業を開始した。
建設計画を進めるなか、大阪商船は本社社屋を自社のみで使うのではなく、できる限り大きなビルを建築し、余ったスペースを賃貸する貸室兼業を狙うことを考えた。それを単独でやることのリスクを十分に理解していたため、他社にもこの事業に参加してもらうことでリスクの分散を図ることとした。
大阪商船が共同事業の働きかけを行ったのは、それぞれの設立にあたって人間関係のつながりのあった宇治川電気と日本電力であった。
宇治川電気は琵琶湖の大規模水力開発を通じ、京阪神地方に送電することを目的に1906(明治39)年に設立された。初代社長に就任したのは大阪商船社長で関西財界の重鎮であった中橋徳五郎であり、2代目以降も大阪商船出身者が就くなど、大阪商船とは人脈で深いつながりがあった。最初の本社は堂島浜通りにあった個人の別邸を借用したものであり、その後も転々とし、本社所在地が定まらない時期が続いていた。
一方の日本電力は1919年に第一次世界大戦後における京阪神方面の電力不足を解消することを目的に創立された。岐阜県を流れる飛騨川筋益田川、馬瀬川、神通川筋宮川および富山県を流れる常願寺川筋和田川の流水を利用した電力を受電し、宇治川電気を通じて京阪神に送電することを目的とした。その飛騨川筋水力発電所の先願権を譲り受けていたのが中橋であり、ここから大阪商船および宇治川電気の関係者が日本電力の創設に関わることになった。同社は当初大阪市北区曽根崎に本社を置き、その後、東区今橋、東区高麗橋と移転したが、十分なスペースが確保できず、新たなオフィスを熱望していた。
両社とも本社社屋の建設機運が高まっており、大阪商船からの提案は好意的に迎えられた。
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1923 1944 草創期
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第2節 ビル事業開始
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第4節 戦時下での事業展開
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1945 1957 復興期
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第2節 ビル建設の再開
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1958 1988 発展期
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第2節 M&Aによる事業拡大
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第3節 企業体質の強化
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1989 2003 拡充期
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第2節 CIの導入と社名の変更
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第3節 災害対応とリスクマネジメント
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2004 2023 変革期
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第3節 海外での事業展開
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第4節 企業体質のさらなる強化とグループの再編